2017年5月27日土曜日

「笹の露」尺八の難所【演奏動画付き】

こんにちは、山口です。

先週の記事でお伝えした通り、現在「而今の会」は「オンライン下合せ」の真っ最中なのですが、今週から各パートのお稽古模様を記事リレーにてご紹介しようと思います。
トップバッターは、尺八の僕からです。


さて、よく言われるのが、三曲において「三絃は骨、箏は肉、尺八は皮」という例えです。
完全に的を得た例えなのかどうかはともかく、僕としては三絃は「本手」唄も手も共に曲の骨格である存在、箏は「替手」として本手の三絃を装飾し盛り上げていく存在だなと理解しております。

それに対し、尺八は唯一の「持続音楽器」であり、特に琴古流の尺八は三絃本手に「ベタ付け」になっていますが、その役割としては「音と音を流麗につなぐ」こと、「音の増幅や減衰、音色のふくよかさ」などを表現していくことなどに存在意義があるのかなと考えています。つまり、音楽としての本質面は基本的に糸方が担って下さっているところに、如何に尺八が入ることで音楽的な付加価値をつけることができるか、そこが値打ちなのかなと考え、日々精進を重ねております。

地歌箏曲はその名前の通り、地歌と箏曲だけで成り立つ音楽であり、糸の先生によっては「糸の余韻を消すから、尺八はない方がいい」というお考えの方もあられると聞きますので、「尺八が入ってよかった!」と思っていただけるためにがんばっています。




さて、「笹の露」は奥傳曲の中でも二つの手事を持つ長大な楽曲であり、全曲通すと20分を超えます。その中で、軽妙な歌詞や美しく整った旋律、そして「さしつさされつ」の70回近くもある掛け合いなど、たくさんの聴きどころがあるのですが、それと同時に糸方の「調弦替え」による、飽きさせない曲展開も魅力的だと思います。20分を超え、手事が2つあるような大曲になると、「八重衣」のようにあえて本調子で通してあるような例外を除き、一般的に三絃は低めの調子からしだいに調弦を上げていくような展開が多いようです。「笹の露」も初めは本調子で出て、1つ目の手事を終えて中歌で二上りとなり、後の手事のチラシあたりで転調して、後歌で高い三下りとなります。個人的に、この「後歌の高三下り」が、尺八にとって「笹の露」の「難所」の一つであるように感じています。


というのも、「高三下り」とは、二上りの「ロ、チ、ロ」から一の糸を1音上げて「ツ、チ、ロ」となっています。これは、通常の三下りの「ロ、レ、リ」から全て1音上がった調子、つまり「八寸管から見た六寸管の調子」となるわけなんですね。本当ならば後歌でサッと六寸管に持ち替えれば、指使いはふつうの「三下り」の通りになるところを無理やり八寸管でやっているので、「難しい転調」の連続のような指使いに見えるんです。だから、「ツの中メリ」「レのメリ」「ヒの中メリ」「五のヒのメリ」の連発になるわけですね。


これらの「ややこしい指使い」は、琴古流では基本的に替え指をせず「音階上メリの音」が必要な音はメって出します。例えば、「レのメリ」「ツ」「五のヒのメリ」「ヒ」と同音です。ですから、流派や会派によっては出しやすい全音の指使いに置き換えて吹くこともあるようです。しかし、それでは「メリの音色」がどうしても出ません。

六寸管の「ロ、ツ、レ、チ、ヒは、八寸で吹くと「ツ、レ、チ、ヒとなるのであるから、「レのメリ」は「ツのメリ」の、「五のヒのメリ」は「ヒのメリ」のつもりで吹く必要があるわけです。

とにかく難しい手の連続で、音程も狂いやすいし、長い曲を拭き通してきた最後のところでとても細かな神経を使わなければならないポイントなんですが、だからこそ演奏しがいのあるところでもあります。「御山獅子」「西行桜」なども、最後のところは同じような難しい指使いが出てきます。こうした曲でいかに「自然」に聴こえるように吹けるか。「八寸管で吹いているのに、まるで六寸」のような音のタッチを表現できるのか、練習を重ねて行きたいところです。





【而今の会・「談話室」にて…】











三絃の本調子→二上り→高三下りと、
お箏の半雲井調子→平調子→中空調子の転調は
宇治巡りや西行桜と同じ構造でして曲が

進むにつれ段々と高潮して行くのを感じますね。

それと同じくして歌の声域も上がりますので、
前歌や中歌で使い切らずちゃんと後歌まで
残して行ける様に歌えれば御の字です。

















「高潮」まさにその通りだと思います。
「手事2つ」の曲の多くが持つ、独特の高揚感がありますよね。
「松竹梅」「根曳の松」なども、最高潮に盛り上がって、炸裂するように終わるかっこよさがありますよね!









2017年5月20日土曜日

いよいよ、「笹の露」のオンライン下合せへ!

こんにちは、山口です。



気がつけば「而今の会」ブログも、今回で16回目の記事となっております。毎週更新していますので、「16週目」ということはもうこのブログを立ち上げて4ヶ月が経過したということなんですね!早いものです。

で、最初の記事を何気なく見返してみると、なんと日付の「2月23日」って、僕の誕生日だったのでした。


その日のFacebookの書き込みを表示してみると、而今の会を始めることができた喜びが湧き上がってきている自分の興奮が思い出されます。



ちなみにその12日前、2月11日のFB書き込み「ライブしたいっっ!!!」が全ての始まりで、大庫さん、東さんがお声をかけて下さって結成と相成ったのでした。本当にありがたいことでした。





さて、これまでブログでは、会のコンセプトとか、音楽性の方向とか、あるいはメンバーがどんな人となりなのかなどをご紹介してきましたが、現在「而今の会」は、いわゆる「オンライン下合せ」を開始しております。

この「オンライン下合せ」とは、遠隔地ゆえに実際に同じ会場で顔を合わせての下合せが難しいため、お互いに録音した音源をメールでやりとりし、その音源を聴いて合わせる練習をしたり、自分自身の録音をパソコン上で合成し、できた音源をお相手に送り返して聴いていただき、メールで意見交換をしながら、また録音や合成を繰り返していきという過程をふんでリハーサル音源を仕上げていく、ということです。

「而今の会」のメンバー間では、これまで「秋の七草」「千鳥の曲」「黒髪」の3曲を「ジョイントweb演奏会」で公開してきましたが、そのときも実際に撮影に入る前に、こうしたネットを介した下合せを行いました。3曲とも「糸・竹」の2人での合奏であったため、さきにお糸の方に録音していただいて、こちらでそれを「イヤホン」で聴きながら合わせておりました。このときは、相手の録音と自分の尺八の音の両方が確認できるよう、「イヤホン」は片耳にさしています。



ただ、今回「3人」でのオンライン下合せは初の試みとなります。「3人」だと、最初のお一人(つまり三絃本手の大庫さん)に弾いていただいた音源に、箏の東さん、尺八の山口の2人が「イヤホン」で合わせないといけません。さらに、「笹の露」は掛け合いが多く、その間が合わないといけないのと、お糸のお二人には「歌い分け」をしていただくので、そこのところも再現しなければなりません。

目下、大庫さんに録音していただいた「笹の露」全曲(なおかつ掛け合いのところは拍子どおり空白・歌い分けの東さんのところは大庫さんは手だけの演奏)の音源とともに、東さん・山口の二人が猛練習中というわけです。

よき演奏をめざしてガンバリマス!!!

2017年5月14日日曜日

たまたま母の日

こんにちは
「而今の会」の大庫こずえです。



東京で生まれた私は 20代に首都圏の生活から一転、山に囲まれた現在の場所に移り住みました。
30数年前、新宿から特急あずさに乗り 途中から飯田線に乗り換え、生まれて初めて降り立ったこの地は 清々しい秋晴れの午後。

南アルプス 中央アルプスの高い山々に囲まれ、東京では見たことのない青空 澄んだ空気 そして真昼間の駅前なのに誰もいない…
悲しくなるような美しさでした。



山田流のお箏など知る人のないこの地で我が音楽的欲求を発散させるべく 娘1が幼稚園に入った時にバイオリンを習わせ始めました。
長じてヴィオラに転向し 先日初めて共演という機会を得、積み重ねた年月を改めて噛み締めたところです。


娘2は、生まれた時から 泣こうが騒ごうが姉のバイオリンの練習が先という環境で育ち 同じ様に習わせたにも関わらず、その方向は選ばずに 料理好きオシャレ好きでお茶目な現代っ子となり 今は気ままな東京一人暮らし。


同じ母から生まれたとはいえ 正反対のようなこの二人、旅行をしたり 長電話をしたりと仲良く独身を謳歌しているようで、私は傍で二人産んでおいて良かったと思うことしきりです。

私も姉との二人姉妹、最近は老いた母の話題で話す機会が増え 相談出来る相手がいることがどんなに有難いかと 産んでくれた母に感謝しています。


折しも今日は感謝し感謝される(であろう)母の日でした

2017年5月6日土曜日

兼業尺八家・山口籟盟の日常

こんにちは、山口です。
今回は而今の会の「メンバーの素顔」ということで、東さんから記事のリレーがスタートしています。
僕は本業が別にある「兼業尺八家」ということで、いったい普段どのような暮らしをしているかについてご紹介してみたいと思います。




平日は、小学校教員をしていますので、6:00に起床、7:00過ぎに出勤しています。
3年前までは、自宅のアパートが音を出せる環境ではなく、なおかつ勤務先まで車で1時間・道のりにして40km以上ありましたので、筑後川河川敷での朝練ばかりでした。

今はそれに比べて、1戸建ての貸家に住み、お稽古できる座敷もあり、勤務先もわずか9分(!!)に改善されたので、本当に恵まれた環境です。




出勤してからは、とにかく公務優先ということで、脇目も振らず(!?)お仕事をがんばっています。朝8:30から夕方5時までが勤務時間ですが、その間はほとんど生徒の対応のため授業準備の時間がとれないので、実際には朝到着してから始業までと、終業時刻から夜7時くらいまでの間に翌日のノート準備や社会の授業プリント作成、理科の事前実験などを行っています。あと、テストの丸付けや学校行事の準備などもあります。今年度は6年生の担任なのですが、勉強はもうほとんど中学の内容に近づいていて難しいので、準備にも気を使います。勤務先にいる間は、脳裏から尺八に関することはほぼ消えています。




…で、夜7時に帰宅し、夕食を頂いてからがようやくお稽古の時間になります。あまり夜遅くまではできないので、食事をしてしばらく休憩してから、30分くらいでしょうか。奥傳曲1曲を通せたら、「ああ〜〜!今日はちゃんと練習できた〜〜!!」という感じですね。忙しくて退勤が遅くなった日は、楽譜を広げる時間も惜しんで「一二三鉢返調」だけとか、「六段」だけとか、もっとひどいと「鹿の遠音」のムライキまでして「レロー」とか、そんな時もあります。とにかく、与えられた環境の中で極力ねばってなんとか吹いています。


そのあと、皿洗い、子どもの寝かしつけなどでドタバタして、自分自身が入浴して風呂からあがると、もう1日が終わったという感じで(ネットとかFBのチェックとかはしていますが)、怒涛のように毎日が流れていきます。お風呂から上がった時に、顔の表面が乾燥しないように、湯布院で買った温泉の濃縮液と、自然派化粧水を塗り、翌日の尺八を吹けるコンディションを維持しています。冬は特に乾燥肌になりやすいので、マスクをつけて寝ています。

冬季は職場でも、生徒の前とか、マスクを外すべきタイミング以外はマスクをはめたままが多くなってしまいます。尺八の調子の維持には、もともと音の調子がすぐに落ちてしまいやすかった過去の苦い経験もあって、非常に気を使ってしまいます。



尺八は、中継ぎで折りたたむと持ち運びしやすい楽器なので、基本的にいつも肌身離さず常に持ち歩いています。カバンの中には必ず吹料の利道道仁銘八寸管、つゆきり、そして三浦琴童譜(乾坤の2冊で本曲36曲がすべて収められているもの)の3点セットが入っています。



この習慣は高校時代、父の友人でフォークギターのセミプロの方(父もその方も教員でした)が僕の前で「ジャラッ」と小銭入れを見せてくれ、その中に入っているギターのピックを指差しながら「ミュージシャンってのはね、常にこれを持ち歩いているんだよ」と語ってくださった思い出が大きく影響しているように思います。


休みの日は休みの日で、金曜日の後のバタンキューで土曜の朝は遅めに起きてしまい、家族で出かけたりとか、買い物をしたりとかあれこれあるので、結局お稽古ばかりはできません。子どももまだ小さいですしね。土日も、奥傳曲を2〜3曲吹けたら「ああ〜〜!今日はちゃんと練習できた〜〜!!」という感じです。月に1回「web演奏会・10分で琴古流本曲」の『収録』があるので、そういう時は午前中いっぱい座敷が『立ち入り禁止』となり、紋付に着替えて演奏を撮影しています。午後はそのアップの作業や解説文の執筆などになりますね。「多重録画」の場合は、Macで合成作業や書き出しに時間がかかるため、もう丸1日の作業となります。…そう考えると、家族から見ると、月の4分の1は尺八にかかり切りになっているように見えるでしょうね…




なかなか「兼業」も思うように尺八ばかりに時間を使えないのですが、大好きな琴古流尺八で、本曲や地歌箏曲を演奏することができて、ネットでも自分の書きたいことを自由に執筆できて、YouTubeが中心ですが時々リアルな場で演奏できて、今はこうして「而今の会」の本番に向けてあれこれ自分なりに工夫できているので、これは本当にありがたい境遇だと最近しみじみ感じております。