2017年8月27日日曜日

「而今の会」ブログへ、ようこそ!!

「而今の会」ブログへのご訪問、ありがとうございます。


「而今の会」とは、Facebookで知り合い、ネット上での三曲合奏「ジョイントweb演奏会」での共演をきっかけとして、山田流の大庫こずえ(長野県)、生田流の東啓次郎(静岡県)、そして琴古流の山口籟盟(福岡県)が結成した三曲のグループです。



居住地や流派、演奏キャリアに左右されず、地歌箏曲を愛する3名が「同志」として、新しいスタイルの三曲の在り方を創り上げようというのが、この会のコンセプトです。


2017年の夏、長野県南信地方にある「飯島陣屋」において、初めての演奏会を行いました。演奏会場、選曲、その他さまざまな打ち合わせや準備、そして何と「下合せ」をも「ネット上」で進めてきました。結成から本番まで、2月から8月までの半年間、このブログにおいて毎週1回リアルタイムで進捗状況を公開してきました。その結果、とても多くの三曲ファンの方々に興味を持っていただき、多い時にはブログの更新ごとに200〜300のアクセスがあったこともありました。

こうした、純邦楽の古典の世界としてはめずらしい「ネット上のもりあがり」とともに、『邦楽ジャーナル』誌、『長野日報』誌、信越放送SBCラジオ局等から取材を受け、三曲界、そして会場のある長野県南信地方にもこの会での取り組みをご紹介いただいたのは、望外の幸せでした。


今回の「而今の会」における取り組みが、演奏人口減・入門者減となり現状の打破の必要性が叫ばれている純邦楽・三曲の世界に対する一つの「提案」として、多くの人々にご覧いただけましたならば幸いなことと存じております。ですので、これまで更新してきたブログ記事は「記録」としてネット上に残し、似たような取り組みを試みたい方や、あるいは「而今の会」以上に新しい純邦楽・三曲の取り組みをやってみようという方に見ていただき、もしご参考になるところがあればご活用してもらい、ひいては邦楽界全体の活性化に少しでも貢献できるのであれば、「而今の会」としても大変光栄なことであります。


ブログのトップページとなるこの場所に、これまでの記事のインデックスを掲載しておきます。ブログの特性上、一番末尾から折り返してお読みいただければ時系列通りの更新状況がご覧いただけるとは思うのですが、ブログ冒頭に記事タイトルとその概要をまとめ、ご覧になりたいページに直接移動できるようにしておきますので、興味を持たれた記事のところをクリック頂いてもよろしいかと思います。



演奏会の終演後にもかかわらず、こうして当ブログをご訪問くださり、これまでの記事に目を通して頂きますことに、而今の会一同、心より感謝申し上げます。どうもありがとうございます。



〜〜〜〜「而今の会」ブログ・記事INDEX〜〜〜〜

☆「而今の会」結成、そのコンセプトに関して
【「而今の会」始動!!】H29.2.23
【「而今の会」メンバー・プロフィール】H29.2.25
【「而今の会」への思い】H29.3.5
【「生演奏」のよさ】H29.3.12


☆メンバーの自己紹介
【東 啓次郎只今参上‼】H29.3.18
【原点回帰のきっかけはFacebook(大庫こずえ)】H29.3.25
【兼業尺八家・山口籟盟】H29.3.26

【ネコと私(東)】H29.4.30
【兼業尺八家・山口籟盟の日常】H29.5.6
【たまたま母の日(大庫)】H29.5.14


☆会場選定、下見関連
【8月は甦る伊那県庁 飯島陣屋にタイムスリップ】H29.3.19
【会場の「飯島陣屋」とは】H29.8.4


☆曲目発表、およびメイン曲「笹の露」について
【曲目発表!!】H29.4.1
【「笹の露」を弾く…】H29.4.9
【箏から目線の笹の露】H29.4.16
【酒 復称笹の露】H29.4.23


☆「笹の露」オンライン下合せ
【いよいよ、「笹の露」のオンライン下合せへ!】H29.5.20
【「笹の露」尺八の難所】H29.5.27
【東版「笹の露」オンライン下合わせ】H29.6.12
【「笹の露」後の手事・オンライン下合せ】H29.6.17
【「笹の露」中歌のオンライン下合せ】H29.6.25
【「笹の露」オンライン下合せ・ついに完成!!】H29.7.17
【「オンライン下合せ」の舞台裏 1】H29.7.22
【「オンライン下合せ」の舞台裏 2】H29.7.29


☆新聞、ラジオ、雑誌等メディア取材
【今日はラジオ番組収録】H29.6.17
【而今の会のジャーナル記事の事】H29.7.1
【邦J・8月号「古典をじっくり味わう」コーナー】H29.8.1
【長野日報】H29.8.15
【うえだ・城下町ぶらり散歩H29.8.12】H29.8.16


☆本番関連
【而今の会・本番前日!!】H29.8.17
【而今の会の本番!】H29.8.21


☆その他の話題
【今週は、ブログ更新をお休みしております…】H29.6.2
【而今(にこん)の会、チラシの完成】H29.7.2
【多彩で個性的な生田箏】H29.7.9
【而今の会より、みなさまへ】H29.8.11


☆エピローグ
【「而今の会」結成〜葉月の陣屋をふりかえって】H29.8.25

2017年8月25日金曜日

「而今の会」結成〜葉月の陣屋をふりかえって









何だか、1週間前の本番が「夢」のようだというか、高校時代の部活の最終試合後の引退とか、大学時代の定期演奏会をやり遂げたあとのようなやりきった感と、終わった後の物寂しさとを感じている今日この頃です。


「既存の三曲の在り方からブレイクスルーした、古典の演奏会をやりたい!」

そんな思いを、この本当に類い稀な縁というか、やっと巡り合えた「同志」とともに達成できたのは、僕としてはこれまでの邦楽人生の中で最も幸福なひとときでした。

2月に「而今の会」を結成し、曲ぎめ、会場ぎめ、ブログでの情報発信、演奏会準備と、3人で力を合わせて、半年間かけて共に創り上げてきました。本当にあっという間でした。今もまだ、「えっ、本番終わったの!?」と信じられない自分がいます。それくらい、集中して燃え続けてこられた半年間だったんだと思います。


また、この半年間、本当にたくさんの方に活動に共感して頂き、応援して頂いたことは、大きな励みとなりました。まわりの皆様に盛り上げて頂いた「而今の会」だったなぁと、あらためて感じております。本当にありがとうございました。


「而今(にこん)」の語の意味通り、「もう、思い残すことはない!」と言い切れるくらい、充実した「やりきった感」があると同時に、僕としては「またこのメンバーで演奏したいなあ」という願いも持っています。メンバー同士の住まいが遠いため、頻繁に演奏会の開催などは難しいのですが、いつかきっとまた、第2弾の「而今の会・演奏会」をやってみたいなと心から思っています。その時には、是非とも足をお運び頂けたら嬉しいなと願っています。

しかし、現段階ではとりあえず、「1stシーズン」とでもいうか、「結成~葉月の陣屋」が一区切りしましたので、二月の結成からの「毎週更新」のブログも、一度「お休み期間」に入ります。その間は、ブログのトップに、これまでの活動の「インデックス」のような形で、これまでの記事を整理したリンク集を付けておきたいと思いますので、もしまた「而今の会の活動、どんな感じだったか見てみたいなぁ」と思って頂きましたら、ぜひこのブログに遊びに来てください。

あわせて、この「而今の会」をきっかけにして、これまでの慣習にとらわれない、自由な古典三曲の演奏会やグループの結成などが出現しましたなら、僕たちも本当に嬉しいです。そうしたムーブメントを期待しながら、結成段階から準備、練習、そして本番まで逐一「舞台裏事情」もどんどんオープンにしてきたわけですので、もしこうした取り組みを志す方がおられましたら、ぜひご参考にできるところは利用して下さいますよう、よろしくお願い致します。


この「熱い」夏の演奏会の思い出を胸に、いつかまた「2ndシーズン」の実現を願いながら

どうもありがとうございました。



山口籟盟





今回は、現実的には下合わせを出来ない地理的環境の者同士が SNSの活用により交流を深め 本番の演奏会を実現するという、なんとも現代的な物語りを作ってしまった我々でした。
リハーサルでは何ともなかったお三絃が 本番を迎えた時には お天気のイタズラで糸が伸びるは伸びるはあんなにも(おそらく数10回)弾くたび毎に糸巻きを締め上げながら演奏し続ける羽目になるとは思ってもみなかった事。
これまでの経験でも初めてのことでした。

行燈の灯だけ 夏の夜の開け放った日本家屋のお座敷。
設定は大成功でしたが、昨今の不安定なお天気には抗いようがありません。
神様に試練を与えられたと解釈しています。
経験すべてが芸の肥やし。
こうして通り過ぎた何もかもが これからの私の芸の厚みを支えてくれるものと思います。
大きな視野で様々な角度から 常に冷静に客観的に物事を捉えられる自分であれ!という思いを深めたこの夏の出来事でした。

大庫こずえ




芸歴30年の経験で最も強烈な出会いの一つが
この而今の会なのです。
山口さんのリードとナビが非常に細やかで、
上手に大庫さんと機械音痴の私を導いて
下さったおかげでオンライン下合わせを確立
出来たのです。
普通なら絶対に一つ所に出向いて何度か
面と向かって合わせる事をするのを、
三者三葉住むも活動するも全く異なる中でも
ネット上で合わせる事が出来るとは全く想像だに
してませんでした。
それと、今の時代の事ですから曲も現代曲で
行くのかと思いきや、そこは堂々と古典で合わせる
形で発信したのが特色なのだと。
そのおかげで、笹の露がとても落ち着いて
最後まで合わせられた事が何よりも得難い経験
でした。
初めての大曲でしかもお箏で挑んだ46歳の
自分に勇気が出ました。
この出会いは何物にも代えられません。

東啓次郎



本番翌日の『長野日報』誌に、「而今の会」を取り上げていただきました。

2017年8月21日月曜日

而今の会の本番!【演奏動画付】

「而今の会」の本番から3日が経過しました。
本番当日の様子を振り返りながら、写真や動画でまとめてみたいと思います。





昼過ぎに会場に到着!
「飯島陣屋」、本当に写真で見たとおりでした!!
長野県南信地方の、低くどっしりと構えた日本建築。
重厚感がありました。





地元ボランティアの方が、綺麗に舞台設営をしてくださいました。
実は、この舞台、毛氈の下のかさ上げ部分は…

…なんと、「ビールケース」なんです!!






今回ありがたいことに、「而今の会」にお花や祝電等を頂きました。
本当に嬉しかったです。ありがとうございます!!
舞台横に飾らせて頂きました。




着物に着替えて、記念撮影!!


そして、リハーサル!











われわれ「而今の会」メンバーも、野点薄茶席を堪能させていただきました。
お菓子は、この会だけのための特注品だということです。
おいしゅうございました。







地酒「今錦」さんの呑みくらべ。




いざ、本番!!



「秋の七草」


「黒髪」


そして、ついに「笹の露」です!
実際の演奏動画です。
ちょっと暗い映像ですが、実際に見えていたのはこんな感じだと思います。
どうぞ、ごらんください!!





お客様の中には、インターネットやFacebookを見て、遠方の県からわざわざ足をお運びくださった方もおられました。本当にありがたいことでした。
心より御礼申し上げます。




3人で打ち上げ!!
もう、いろいろ語り合いましたよ。


本当にありがたい1日でした。

2017年8月17日木曜日

而今の会・本番前日!!

こんにちは、山口です。
今日は8月17日!
本番前日です!!

今日は大庫さんのお宅でリハーサルを行うことになり、
山口・東さんがJR岡谷駅で合流して、駒ケ根まで向かいました。





途中、伊那市の丸亀製麺に立ち寄り、腹ごしらえ。
山口もですが、東さんも丸亀製麺の讃岐うどんがお好きで、
よく召し上がっておられたようです。
ふたりして「特盛」を完食!!





そして、ついに……


「而今の会」、全員集合!!!




全曲、リハーサルに励みました。
やはり、「オンライン」ではなく、実際の合奏は本当に楽しいです!!







リハーサル後は、大庫さんが駒ケ根名物・ソースかつ丼のお店に連れて行って下さり、
決起前夜祭を行いました。
邦楽談義に花が咲きました!!




お店からの帰り道、JR駒ケ根駅前ロータリーで、
木々に美しい桃色の花が咲いていました。
「なんの花でしょうねぇ…?」
と聞いてみると、東さんが
「さるすべりの花ですよ」

…さるすべりの花!?
東さんの博学には、あらためてびっくりしました。
たしかに、幹はツルツルでした。



2017年8月16日水曜日

うえだ・城下町ぶらり散歩H29.8.12

信越放送SBCラジオの「うえだ・城下町ぶらり散歩」H29.8.12オンエアーの録音です。

「而今の会」大庫こずえが出演し、「しるしプロジェクト」や「而今の会・演奏会」についてインタビューを受けています。

どうぞ、お聞きください!

2017年8月15日火曜日

長野日報

8月15日付の『長野日報』で、「しるしプロジェクト」と「而今の会」について取材して取り上げて頂きました!


2017年8月11日金曜日

而今の会より、みなさまへ

本番まで、残り1週間!!
メンバーよりメッセージです。


葉月の陣屋 三曲の宵
「而今の会 演奏会」
日時:2017年8月18日(金)
   野点薄茶席・地酒「今錦」呑みくらべ…17:00〜
   而今の会 演奏会…19:00〜
会場:飯島本陣陣屋(長野県上伊那郡飯島町飯島2309-1)

〜演奏曲目〜
 六段の調(箏:大庫こずえ、東啓次郎)
 秋の七草(箏:大庫こずえ、尺八:山口籟盟)
 黒髪  (三絃:東啓次郎、尺八:山口籟盟)
 夕暮の曲(尺八:山口籟盟)
 笹の露 (三絃:大庫こずえ、箏:東啓次郎、尺八:山口籟盟)

入場料:2000円



而今(にこん)の会について
インターネット上での三曲合奏「ジョイントweb演奏会」をきっかけに、
大庫こずえ、東啓次郎、山口籟盟の3名が「生演奏でのライブ」を敢行!!
居住地や流派、演奏キャリアに左右されず、地歌箏曲を愛する3名が「同志」として、
新しいスタイルの三曲の在り方を創り上げています!

2017年8月4日金曜日

会場の「飯島陣屋」とは

飯島陣屋とは



〜飯島陣屋(Wikipediaより)〜

飯島陣屋(いいじまじんや)は長野県上伊那郡飯島町にあった代官所(代官陣屋)のひとつ。現在ある建物は復元で、観光施設となっている。

概要
飯田藩主脇坂安政の転封に伴い、信濃国伊那谷に生じた天領を治めるため、延宝5年(1677年)に設置された。当時は代官が執務を執り行う本陣のほか、代官一家が住まう屋敷、役人の住む官舎、長屋、納屋など付随する建物十数棟で構成されていた。飯島陣屋には必ずしも代官は常駐せず、信濃の他陣屋代官や他国代官(駿府、遠州中泉等)が兼務し、その出張陣屋となることが多かった。
明治に入り、明治政府によって幕府天領地の接収が行われると飯島陣屋は廃止された。
伊那谷の旧天領地が伊那県とされると、飯島陣屋が伊那県庁となった。
明治4年、伊那県が廃止されて筑摩県に併合されると、飯島陣屋はその役目を終え、解体処分された。
1994年(平成6年)、飯島町内をはじめ、長野県内や愛知県などに残る古文書を調査、また陣屋跡の発掘調査により、当時と同じ位置、同じ構造様式で本陣が新築復元された。敷地内には陣屋記念館も併設され、当時の資料や調度品などが展示・公開されている。写真撮影もでき、展示物も実際に手を触れて観察できるなど、親しみやすい配慮がされている。


〜飯島陣屋・解説(パンフレットより)〜

寛文12年(1672)、飯島を含む地域が幕府直轄領(天領)に編入された。このとき、この直轄領を治めるために、江戸幕府はいったん片桐町(元下伊那郡松川町)に陣屋を置いたが、5年後の延宝5年(1677)になって、陣屋は飯島町に移された。飯島陣屋は、それ以来幕末に至るまで、信濃国のうち、主に伊那郡の幕府直轄領を統治する拠点となったのである。

伊那郡には高遠藩、飯田藩、高須藩などの藩領があり、ほかに旗本領も点在していた。飯島陣屋が支配したのは、これらを除いた幕府の直轄領である。したがって、支配域は飛び飛びになっていた。また、代官が替わるときなどに支配域がしばしば変更されたので、1万数千石を治めたときもあれば、5万石余りを治めたときもあった。

飯島陣屋のような幕府の代官陣屋は全国に50〜60ヶ所程度置かれていた。代官陣屋には、本陣屋といわれる主要な陣屋のほか、支庁である出張(でばり)陣屋があった。飯島陣屋は、完成7年(1795)からは駿府紺屋町陣屋(現静岡市)の出張陣屋に固定化された。

飯島陣屋には手付、手代、書役と呼ばれる役人が常駐し、さまざまな政務を執りおこなった。これらの役人たちを統括するのが代官だが、飯島陣屋の代官は、普段は江戸の役所に詰めており、検見などの重要な任務があるときに飯島に赴いた。飯島陣屋が駿府紺屋町陣屋の出張陣屋となってからは、代官は江戸ではなく駿府で任務に就いていた。


※飯島陣屋本陣の新築復元は、古文書の調査によって建物の姿をとらえ、発掘調査によって位置を確認した上でおこなわれた。
※飯島陣屋記念館は、江戸時代、「一の長屋」と呼ばれた建物の一部を移転、補強したものである。長屋は手付や手代の官舎で、飯島陣屋には一の長屋と二の長屋があった。
※蓑笠之助は実在の人物である。寛政6〜7年(1794〜1795)に飯島代官を勤めた。




代官
飯島陣屋の代官は、190年間で42代を数える。16年間務めた代官もいれば、わずか3ヶ月で交替した代官もいた。
代官は、旗本としては最下層に位置する身分だが、任された仕事は幕府の屋台骨を支えるといってもよいものであった。幕府が成り立っていたのは直轄領からの年貢があってこそで、代官はその地方行政をつかさどるスペシャリストだったのである。

手付・手代・書役
代官の指揮の下、直接執務を担当した役人である。ごく少ない人数で、手広く仕事をこなした。
手付は武士(御家人)だが、手代は町人や百姓身分出身である。出身身分こそ違うが、手付と手代は職務上の格差はまったくなかった。したがって、勤続年数や職務の優劣で手代の方が上に立つこともあった。手付や手代は代官が採用するが、手代の場合、役所事務の見習いを経て書役となり、手付・手代の中で最も格上の者は元締と呼ばれた。





伊那県とは

「伊那県」は、慶応四年(1868=明治元年)から明治四年(1871)まで、本当にあった県の名前です。江戸時代の飯島陣屋が、明治時代のはじめ、その県庁になりました!

伊那県について



時は慶応4年、西暦1868年のことでございます。
鳥羽伏見で幕府軍を破った薩長軍は、官軍と名乗って「いざ東へ進軍じゃ〜」。官軍は、それまでの幕府の領地を「天朝の御料(てんちょうのごりょう)」にもどしたと宣言、信濃のその地域の行政はとりあえず尾張藩が代行することとあいなります。こうして飯島陣屋はその支配地ともども尾張藩へ引き渡され、陣屋は当面「尾張藩飯島取締役所」と名を変えることとなったのでございます。

そしてこの年8月、新政府はお公家さんの北小路俊昌(きたこうじとしまさ)という方を伊那県の知県事に任命いたします。当時は県知事といわず、知県事と呼んだのでございますね。このとき、元の飯島陣屋を県庁として伊那県が誕生したのでございます。9月には慶応から明治と改元され、いよいよ明治時代が到来。つぎつぎと県のお役人が任命され、明治2年半ばには、伊那県はその政治体制を整えたのでございます。

飯島を本庁として、塩尻(塩尻市)・御影(小諸市)・中之条(坂城町)・中野(中野市)に支局を置き、されに驚くなかれ、信濃だけでなく三河にも県域を広げ、足助(愛知県足助町)に支局を設けました。こうして、飛び飛びとは申せ、信濃から三河にいたる、なんと32万石が伊那県となったのでございます。







一昨年 長野県のもう一つの県庁であった中野市陣屋の県庁記念館というところでライブをしましたが、そちらは 建物は現存してはおらず 旧中野県庁の造りを模したといわれる白壁の建造物でした。



今回の飯島陣屋は 資料を元に忠実に復元した江戸時代の様式の建物
県外から移住した私が 長い時を経て この長野の歴史に巡り合う事となりました。






江戸時代の信濃の支配は以下の通りでした。

大名…飯山・須坂・松代・上田・小諸・岩村田、
松本、諏訪・飯田・高遠・龍岡(廃藩置県の頃まで実在した藩)
信濃以外の大名の飛地
   木曽は尾張徳川家が治めたのが有名
高禄の幕臣の知行地
   伊那衆(知久・小笠原・座光寺)
   大名と同じく参勤交代の義務があった
幕府直轄地
   中野・中之条・御影・塩尻・飯島
寺社領 善光寺・戸隠神社・諏訪大社等

と、複雑な支配があった中で今回の会場の
飯島陣屋は伊那地域を治める重要な幕府直轄地
ありました。



伊那地域は古くからの林業地帯で、
木材を天竜川の舟運を使い下流の浜松方面に
運び、やがて浜松が明治以降に楽器生産を興した
きっかけにもなりました。

2017年8月1日火曜日

邦J・8月号「古典をじっくり味わう」コーナー

『邦楽ジャーナル』8月号でも、而今の会を取り上げて頂きました。

しかも「古典をじっくり味わう」コーナーです。
ありがたいことです。