2017年8月15日火曜日

長野日報

8月15日付の『長野日報』で、「しるしプロジェクト」と「而今の会」について取材して取り上げて頂きました!


2017年8月11日金曜日

而今の会より、みなさまへ

本番まで、残り1週間!!
メンバーよりメッセージです。


葉月の陣屋 三曲の宵
「而今の会 演奏会」
日時:2017年8月18日(金)
   野点薄茶席・地酒「今錦」呑みくらべ…17:00〜
   而今の会 演奏会…19:00〜
会場:飯島本陣陣屋(長野県上伊那郡飯島町飯島2309-1)

〜演奏曲目〜
 六段の調(箏:大庫こずえ、東啓次郎)
 秋の七草(箏:大庫こずえ、尺八:山口籟盟)
 黒髪  (三絃:東啓次郎、尺八:山口籟盟)
 夕暮の曲(尺八:山口籟盟)
 笹の露 (三絃:大庫こずえ、箏:東啓次郎、尺八:山口籟盟)

入場料:2000円



而今(にこん)の会について
インターネット上での三曲合奏「ジョイントweb演奏会」をきっかけに、
大庫こずえ、東啓次郎、山口籟盟の3名が「生演奏でのライブ」を敢行!!
居住地や流派、演奏キャリアに左右されず、地歌箏曲を愛する3名が「同志」として、
新しいスタイルの三曲の在り方を創り上げています!

2017年8月4日金曜日

会場の「飯島陣屋」とは

飯島陣屋とは



〜飯島陣屋(Wikipediaより)〜

飯島陣屋(いいじまじんや)は長野県上伊那郡飯島町にあった代官所(代官陣屋)のひとつ。現在ある建物は復元で、観光施設となっている。

概要
飯田藩主脇坂安政の転封に伴い、信濃国伊那谷に生じた天領を治めるため、延宝5年(1677年)に設置された。当時は代官が執務を執り行う本陣のほか、代官一家が住まう屋敷、役人の住む官舎、長屋、納屋など付随する建物十数棟で構成されていた。飯島陣屋には必ずしも代官は常駐せず、信濃の他陣屋代官や他国代官(駿府、遠州中泉等)が兼務し、その出張陣屋となることが多かった。
明治に入り、明治政府によって幕府天領地の接収が行われると飯島陣屋は廃止された。
伊那谷の旧天領地が伊那県とされると、飯島陣屋が伊那県庁となった。
明治4年、伊那県が廃止されて筑摩県に併合されると、飯島陣屋はその役目を終え、解体処分された。
1994年(平成6年)、飯島町内をはじめ、長野県内や愛知県などに残る古文書を調査、また陣屋跡の発掘調査により、当時と同じ位置、同じ構造様式で本陣が新築復元された。敷地内には陣屋記念館も併設され、当時の資料や調度品などが展示・公開されている。写真撮影もでき、展示物も実際に手を触れて観察できるなど、親しみやすい配慮がされている。


〜飯島陣屋・解説(パンフレットより)〜

寛文12年(1672)、飯島を含む地域が幕府直轄領(天領)に編入された。このとき、この直轄領を治めるために、江戸幕府はいったん片桐町(元下伊那郡松川町)に陣屋を置いたが、5年後の延宝5年(1677)になって、陣屋は飯島町に移された。飯島陣屋は、それ以来幕末に至るまで、信濃国のうち、主に伊那郡の幕府直轄領を統治する拠点となったのである。

伊那郡には高遠藩、飯田藩、高須藩などの藩領があり、ほかに旗本領も点在していた。飯島陣屋が支配したのは、これらを除いた幕府の直轄領である。したがって、支配域は飛び飛びになっていた。また、代官が替わるときなどに支配域がしばしば変更されたので、1万数千石を治めたときもあれば、5万石余りを治めたときもあった。

飯島陣屋のような幕府の代官陣屋は全国に50〜60ヶ所程度置かれていた。代官陣屋には、本陣屋といわれる主要な陣屋のほか、支庁である出張(でばり)陣屋があった。飯島陣屋は、完成7年(1795)からは駿府紺屋町陣屋(現静岡市)の出張陣屋に固定化された。

飯島陣屋には手付、手代、書役と呼ばれる役人が常駐し、さまざまな政務を執りおこなった。これらの役人たちを統括するのが代官だが、飯島陣屋の代官は、普段は江戸の役所に詰めており、検見などの重要な任務があるときに飯島に赴いた。飯島陣屋が駿府紺屋町陣屋の出張陣屋となってからは、代官は江戸ではなく駿府で任務に就いていた。


※飯島陣屋本陣の新築復元は、古文書の調査によって建物の姿をとらえ、発掘調査によって位置を確認した上でおこなわれた。
※飯島陣屋記念館は、江戸時代、「一の長屋」と呼ばれた建物の一部を移転、補強したものである。長屋は手付や手代の官舎で、飯島陣屋には一の長屋と二の長屋があった。
※蓑笠之助は実在の人物である。寛政6〜7年(1794〜1795)に飯島代官を勤めた。




代官
飯島陣屋の代官は、190年間で42代を数える。16年間務めた代官もいれば、わずか3ヶ月で交替した代官もいた。
代官は、旗本としては最下層に位置する身分だが、任された仕事は幕府の屋台骨を支えるといってもよいものであった。幕府が成り立っていたのは直轄領からの年貢があってこそで、代官はその地方行政をつかさどるスペシャリストだったのである。

手付・手代・書役
代官の指揮の下、直接執務を担当した役人である。ごく少ない人数で、手広く仕事をこなした。
手付は武士(御家人)だが、手代は町人や百姓身分出身である。出身身分こそ違うが、手付と手代は職務上の格差はまったくなかった。したがって、勤続年数や職務の優劣で手代の方が上に立つこともあった。手付や手代は代官が採用するが、手代の場合、役所事務の見習いを経て書役となり、手付・手代の中で最も格上の者は元締と呼ばれた。





伊那県とは

「伊那県」は、慶応四年(1868=明治元年)から明治四年(1871)まで、本当にあった県の名前です。江戸時代の飯島陣屋が、明治時代のはじめ、その県庁になりました!

伊那県について



時は慶応4年、西暦1868年のことでございます。
鳥羽伏見で幕府軍を破った薩長軍は、官軍と名乗って「いざ東へ進軍じゃ〜」。官軍は、それまでの幕府の領地を「天朝の御料(てんちょうのごりょう)」にもどしたと宣言、信濃のその地域の行政はとりあえず尾張藩が代行することとあいなります。こうして飯島陣屋はその支配地ともども尾張藩へ引き渡され、陣屋は当面「尾張藩飯島取締役所」と名を変えることとなったのでございます。

そしてこの年8月、新政府はお公家さんの北小路俊昌(きたこうじとしまさ)という方を伊那県の知県事に任命いたします。当時は県知事といわず、知県事と呼んだのでございますね。このとき、元の飯島陣屋を県庁として伊那県が誕生したのでございます。9月には慶応から明治と改元され、いよいよ明治時代が到来。つぎつぎと県のお役人が任命され、明治2年半ばには、伊那県はその政治体制を整えたのでございます。

飯島を本庁として、塩尻(塩尻市)・御影(小諸市)・中之条(坂城町)・中野(中野市)に支局を置き、されに驚くなかれ、信濃だけでなく三河にも県域を広げ、足助(愛知県足助町)に支局を設けました。こうして、飛び飛びとは申せ、信濃から三河にいたる、なんと32万石が伊那県となったのでございます。







一昨年 長野県のもう一つの県庁であった中野市陣屋の県庁記念館というところでライブをしましたが、そちらは 建物は現存してはおらず 旧中野県庁の造りを模したといわれる白壁の建造物でした。



今回の飯島陣屋は 資料を元に忠実に復元した江戸時代の様式の建物
県外から移住した私が 長い時を経て この長野の歴史に巡り合う事となりました。






江戸時代の信濃の支配は以下の通りでした。

大名…飯山・須坂・松代・上田・小諸・岩村田、
松本、諏訪・飯田・高遠・龍岡(廃藩置県の頃まで実在した藩)
信濃以外の大名の飛地
   木曽は尾張徳川家が治めたのが有名
高禄の幕臣の知行地
   伊那衆(知久・小笠原・座光寺)
   大名と同じく参勤交代の義務があった
幕府直轄地
   中野・中之条・御影・塩尻・飯島
寺社領 善光寺・戸隠神社・諏訪大社等

と、複雑な支配があった中で今回の会場の
飯島陣屋は伊那地域を治める重要な幕府直轄地
ありました。



伊那地域は古くからの林業地帯で、
木材を天竜川の舟運を使い下流の浜松方面に
運び、やがて浜松が明治以降に楽器生産を興した
きっかけにもなりました。

2017年8月1日火曜日

邦J・8月号「古典をじっくり味わう」コーナー

『邦楽ジャーナル』8月号でも、而今の会を取り上げて頂きました。

しかも「古典をじっくり味わう」コーナーです。
ありがたいことです。

2017年7月29日土曜日

「オンライン下合せ」の舞台裏 2

前回の記事に引き続きまして、今回はメンバー3人の動画撮影環境というか、「どのように動画を撮影しているか」のご紹介をしたいと思います。

1、山口編



撮影場所は、このような6畳の和室です。ここが当方のお稽古場です。なんの変哲もない、賃貸一戸建ての和室です。






床の間をバックに、稽古机と太めの書籍を台にして、その上に100均で買ったスマホスタンドでiPhoneを固定して、ビデオ撮影で撮っています。






iPhoneは、以前使っていた「iPhone4s」を、機種変更したのちも使い続けています。
画質は新しいiPhoneの方がいいのですが、最近のは自動でマイクの感度を調整してしまうようなので、ディミヌエンドをしていると勝手に感度が上がって尺八のボリュームが急に大きくなったりしてしまうのです。そういう機能も、ひょっとしたらキャンセルの方法があったり、他のアプリを使えば解決できるのかもしれませんが、使い慣れているので今だに「4s」のままです。






ちなみに、カメラは背面カメラの方が画質が良いので、かならずこちら向きにしています。
対面のカメラは、画面を確認しながら撮影できるので便利なのですが、画質が落ちてしまいます。
画面合わせには、床柱を画面のセンターに、画面の下を畳の縁に、画面の上を掛け軸の真ん中あたりに、という風に、背景で合わせています。
三脚も持っていて、以前使っていたのですが、これは傾いてしまうことがあるので、最近は水平な台ということで、稽古机などを使うことが多いです。高さは、座奏の場合、iPhoneの高さを自分の胸の高さ位にしています。




編集用のMacです。2009年のポリカーボネイト製MacBook、CPUはIntel Core 2 Duoの2.13 GHz、メモリは4GB、ハードディスクは純正の120GBを1TBに換装しました。使い始めて8年になりますが、まだまだ現役です。
OSは、MacOSX 10.11のEl Capitanです。ついに最近、最新OSにアップグレードできる機種から外れてしまいましたので、一つ前のOSですが、今の所不自由はしていません。
最近のMacは、CDドライブや音声入力端子、そしてノート型のほとんどが通常タイプのUSBポートも省かれてしまっているので、このマシンはなるべく長く使い続けていきたいところです。でも最近、左手首の当たるあたりのパームレストのプラスチックが割れてきてしまっていて…。あとどれくらい現役を続けられるかちょっと不安な今日この頃です。


2、東編

では、私のオンライン下合わせの
ネタバレを紹介させて頂きます。



私の部屋の家具と机に囲まれたこのスペースに
立奏台を置き、お箏を乗せて弾ける形を取ってます。

一面分を置けばギリギリ身動きが取れるので、
録画する分には大丈夫ですが、
出入口の戸を閉めると蒸し風呂状態の中で
弾いております。




PCを開けて取り込んである音源を聴きつつ
弾くのですが、最初はイヤホンを使わずに弾いて
ましたので動きが合わず難儀でしたけども、
イヤホンを挿入装着して弾きますと
大体の動きが合うのです。





撮影モードでタブレット端末を使う時、
この部屋のスペースの関係で机の上にこのまま
乗せて撮る形なのです。

実際にはもう少しアングルを上にして
撮りますが、この時は琴柱の箱や小物入れの
箱を幾つも積んで積んで、高さを調整してます。

ですので、この調整で時間を喰ってしまい

何度も撮り直しております。




3、大庫編

私の撮影場所公開!

私の稽古部屋で 籟盟さんのご指導のもと iPhoneを使い動画撮影をしました。







これもiPhoneだけで撮っているので、ここはカバーだけセット 








自分の最初の録音や、中歌の東さんの演奏をパソコンでイヤホンから聴きながらの演奏動画撮影でした。







 床の間もない、何の変哲もない和室です。 






たまたま置いていた姿見で、都合よくiPhoneの画面が映り、上下左右のバランスを座ったまま確認出来たのは、偶然発見した良い方法です。

2017年7月22日土曜日

「オンライン下合せ」の舞台裏 1

こんにちは、山口です。
いよいよ、「而今の会」演奏会本番まで1ヶ月を切りました。
最後までしっかり練習し、ブログでの情報発信の方も充実させて本番を迎えたいところです。

さて、今回は「オンライン下合せの舞台裏」と題しまして、先週までのオンライン下合せを一体どのようにやって来たのか、「タネ明かし」してみたいと思います。





1、合わせるための「ベーシック・トラック」と、重ね録り「オーバーダビング」


音楽を全く別の場所で、相手の音を聴くことなく演奏すると、当然テンポやタイミングがズレますよね。そうならないように、まずは「テンポを揃える」ためのベースとなる録音をしました。僕はこれを「ベーシック・トラック」と呼んでいます。

ただ、厳密にはこれは用語の意味が違っていて、本当はバンドやポップスのCDなんかを作るときに、まずはリズムギターとベース、ドラム、仮の歌など「音楽の基礎」の部分だけ先に録音してしまい(これを本当は「ベーシック・トラック」という)、あとでそれをヘッドホンで聴きながらボーカルやコーラス、リードギターなどを重ね録り(「オーバーダビング」という)するそうなんですよね。

こうしたやり方はビートルズが発展させたらしくて、中学の頃、ビートルズ・ファンである父から借りたビートルズの歴史の本を読んで、こうした録音技術の概念を知りました。そのやり方を、「遠隔地同士の録音」に応用したわけです。


話を戻しますが、まずは大庫さんに「ベーシック・トラック」として、笹の露全曲の三絃本手のみ録音して頂きました。

ちなみにその音源は、「オンライン下合せ」の最初の頃「後歌」「後の手事・チラシ」の動画ではそのまま使用していますので、お聴き頂くことができます。この二つの動画には、大庫さんは映ってませんよね。大庫さんはベーシック・トラックの「音だけ」の参加で、それをイヤホンで聴きながら、東さんと山口が合奏しているわけです。







しかし、「中歌」の動画では、今度は東さんが歌われ、イヤホンをされてません。これは、まず東さんがお一人で中歌の動画を撮られ、そこから「音だけ」を抜き出した音源を聴きながら、大庫さんと山口が合わせているわけです(山口は「音のみ」の参加)。






2、「3人」が映る動画


ここまでは、メンバー3人のうち、誰かが映像から抜けていましたので、「前歌~手事」ではぜひ映像も「3人の共演」にしたいと思っていました。
そこで脳裏をよぎったのが、このブログの3番目の記事【「而今の会への思い」】でご紹介した、大和証券のCM映像です。




まず最初は、アメリカのサンタモニカで、アコギ一本をかき鳴らすストリートミュージシャンから動画は始まります。しかし、しばらくすると、同じくアメリカのニューオーリンズで港を背景にした味のあるシンガーにバトンタッチし、ニューヨークのバンジョー奏者、ブラジルのパーカッショニストなどに次々と映像が映っていきながら、少しずつ演奏楽器が増えていきます。その中には、日本のギタリスト・Char氏や、篳篥の東儀秀樹氏らもいます。これは面白い演出だなと思いました。ちょっとそれのパロディ風にして、前歌の最初は大庫さんの三絃本手独奏で始まり、途中から東さんの箏、最初の合いの手から山口の尺八、というカメラワークにしてみることにしました。

ただ、実は3人がそれぞれ撮影したのは、本当は全て前歌の最初からの全曲で、「合奏確認用」に3人が聴いて検討を行った音源資料の方には、曲の冒頭から箏、尺八も入っています。


この動画を実現するためには、3人全員の動画が必要です。ですので、最初に録音してもらった大庫さんの三絃本手を、大庫さん自身にもイヤホンで聴いていただきながら、もう一度同じ曲を同じテンポで弾き歌いしていただき、撮影していただいたわけです。ですので、3人ともがイヤホンをしながら演奏録画しているんですね。



ただ、この手法だと、Macの動画編集ソフト・iMovieでは画面を分割しても2人しか同時に映せません。せっかくなので、「3人同時に」映っている画面も表示させたいと思いました。

そこで、「iPhoneiMovie」を利用して、まずは東さんと山口の「縦2分割」の動画を作り(iPhone版のiMovieではそれができる)、できた動画と大庫さんの三絃本手を横並びに表示させることで「画面の3分割」を実現しました。手事の途中からは、この「3分割」の画面表示にしています。





3、「音」の編集


「音」の編集は、Macに付属の「GarageBand」というソフトでやっています。三絃本手、箏替手、尺八にそれぞれ1トラックずつ割り当てて、合奏のタイミング調整はもちろん、各楽器のボリューム調整、ステレオの調整(箏は左スピーカー寄り、センターは三絃、右スピーカーに尺八)をしています。音のエコーやリバーブ等は一切かけておらず、「iPhoneやタブレット等、撮影機材のマイクが拾った音そのもの」にしております。








こうした「合奏動画」の撮影は、洋楽器では結構な数がYouTubeに出回っていますが、純邦楽、それも地歌箏曲で取り組んだのは「而今の会」が初なのではないかと思います。

この記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひまた「オンライン下合せ」の動画をご視聴頂いたり、あるいはお知り合いの奏者同士で撮影に挑戦してみたりされてはいかがでしょうか?




こうした「動画」に面白さを感じる古曲ファンが増え、YouTubeの三曲合奏の方も活況を呈したならば、また新たな地歌箏曲の展望が開けてくるかもしれないと思っています。

2017年7月17日月曜日

「笹の露」オンライン下合せ・ついに完成!!





5月にスタートした「而今の会」のオンライン下合せでしたが、ついに「笹の露」全曲が完成しました!!

これまで取り組んできた「ジョイントweb演奏会」は、どれも10分内外の曲。
それに対して「笹の露」は地歌箏曲の中でも奥伝曲で時間にして20分以上、前後に2つの手事を持つ大曲です。

まず最初に、大庫さんに三絃本手を全曲録音していただくところから、下合せは始まりました。
その録音を聴いて、箏替手を東さんが、尺八を山口が、それぞれ練習を開始しました。

最初に公開した動画(「チラシ〜後歌の稽古」)は、山口が尺八の最後の転調のところ(→関係記事【「笹の露」尺八の難所】)の練習模様を発表したところからスタートした関係もあって、「オンライン下合せ」は本来の曲の順番とは逆に「後歌」からスタートしました。
場所によっては合口や間合いが難しく、同じ空間で同時に合奏しているわけではないため、どうしても不自然な箇所も残ってしまいました。
しかし「どのように各パートが組み合わさっているか」や、「合奏した時の雰囲気はどうなるか」などを確かめたり、「オンライン下合せ」のために一生懸命練習したりできたことは、離れた場所どうしで演奏会をするメンバー間では大変重要なリハーサルとなりました。
大庫さんと東さんは日々演奏活動・教授活動でお忙しい中、時間をとって練習・撮影にのぞんで下さり、本当にありがたいことでした。


僕は主に、「締め切り催促係」で、毎回モーレツな催促をしてしまいました(どうもスミマセン…)。


尺八奏者にとって、地歌箏曲は「三絃・箏と合奏させてもらう曲」であり、伴奏楽器の立場です。
琴古流は「本手にベタ付け」とよく言われますが、それでも細かな三絃のニュアンスをそのまま尺八の手に写せているわけではなく、あくまで漢文の「書き下し文」みたいな感じというか、尺八としての「デフォルメ」が入った状態です。
今回、お二人の録音や動画を編集させていただくことで、地歌箏曲の糸方の奏法や細かいニュアンス、本手と替手の合い方、尺八の手とは「ベタ」とはいってもかなり違うことなどを、本当に間近で何度も見せていただくことができました。
これこそ、尺八家にとってはまたとない勉強の機会でした。
あまり「お勉強!」したいわけではありませんが、これは本当に勉強になりました。
お二人に感謝しています。


これまでの「ジョイントweb演奏会」では、奏者が2人で、糸方の本手に尺八が合わせるだけでしたので、送っていただいた動画の音をイヤホンで聞きながら、山口の方で合わせていました。
しかし、今回は「3人」の合奏なので、少なくとも毎回2人は「イヤホン撮影」をしないといけません。
結果的に、東さんにも大庫さんにも「イヤホン撮影」をお願いしてしまいました。
大変お世話をおかけしましたが、おかげで「笹の露」全曲を3人で通せました。
3人による「オンラインの共演」として、初めての曲となりました。


「後歌」「後の手事」「中歌」までは、3人のうち2人が映像で、もう一人が「音だけ」の参加でしたが、今回は3人が同時に映像に映るというのも初めてです。
山口が使用しているMacに付属の「iMovie」という映像編集ソフトでは、「横に3画面」の編集ができないため、前半は交互に映像を切り替え、後半は「マンガのコマ割り」みたいな手法で「3人同時」を実現しています。
これにはMacだけではうまくいかず、「iPhoneのiMovie」をも利用して、「縦に2画面分割」「横に2画面分割」と2回の編集を要しました。
しかし、最後にようやく「3人同時」の映像ができたので、とても嬉しいです。


あとは、本番に向けて練習を重ね、「オンライン下合せ」での合口を確認しながら調整していきたいです。
気づけばもう7月も半ばです。
本番まであと1ヶ月!!ほんとうに目と鼻の先に迫ってきました。楽しみです!!





デジタル技術の難しいことは何もわかりません。
私は自分の領分で出来ることしかしませんでしたが、何と濃密な関わりを持って練習が出来た事と これまでにない充実感です。
イヤホンで片耳塞がれた状態で 歌を歌い同時に楽器を演奏し流れている音と合わせることが 想像以上の困難な事と良く分かりました。
実際に同じ場所で相手の動きや息遣いを感じながら合奏をするという事が どれだけ心地よいものか…楽しみです。





ほんにスゴい事と思います。
合わせる音源の流れにどうくっついて
弾いていくかを充分に考えされられました。
後はやはり生身の人間が集まって
どう合わさって弾いていくかを目指す
のみと言えますね。